カテゴリー別アーカイブ: ホンカの歴史

『 ホンカの歴史⑳ 』

こんにちは。

ホームコーディネーターの小俣です。

 フィンランド 4月 (2)

今日のホンカの歴史は、前回の続き1980年代のお話です。

1980年代には、角ログ材と丸ログ材を上回る新しいログ材のタイプが登場しました。

それは今では主流となっています二つ以上の木材を接着剤で合わせたラミネートログ材のことです。

ノッチ 年輪

現在ホンカのラインナップでは、二つの木を合わせて作られた縦ラミネートログ材がスタンダードではありますが、さまざまな要望に応えられるようなプレミアムログ材とその特性も人気が高いです。

建設に用いられるラミネートログ材が一本木のログ材に比べて優れている点は何でしょうか?

それはまず安定していること、そして長い歳月の間に無垢の木に起こる割れが生じないことです。

アラヤルヴィにあったフィンウッド社では1980年代の初頭からこのラミネートログ材の開発に力を注いでいました。

約10年かけて発明されたこの製品の素晴らしさは広く認識されることになり、需要もまた増加の一途をたどることとなりました。

ホンカのログハウス建設の新しい方向性を打ち出し、同時にラミネートログ材のための開発と製造を行う自社工場をリクエサに設けました。

のちにラミネートログ材は製品として購入した方が効率的であるという結論に達し、1990年12月、ホンカはフィンウッド社とフィンウッド・ラケンヌス社の株の48%を買収したのでした。

フィンウッド社の株の買収には彼らの新しい製造技術を自分たちのところに取り込むことで、将来考えうる競争に備えたいという目論見があったそうです。

1980年の後半から続く好調な業績はホンカの経済面でも強化させていました。これで新たな市場開拓にも力を置くことができるようになりました。

そして海外では当時、角ログ材が丸ログ材よりも明らかに需要が高かったことに目を付けたんだそうです。

ログハウス

次回は、1990年代以降についてお話したいと思います。

小俣 ホンカ 小俣

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株式会社ホンカ・ジャパン
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小俣 あけみ
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『 ホンカの歴史⑲ 』

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ホンカ インテリア40

今日のホンカの歴史は、1980年代のお話です。

開発の新たな一歩を踏み出したのが1982年の発明でした。カルストゥラ工場での丸ログ材の生産方法を、これまでとは全く違ったやり方に変えてしまったのでした。

以来、原木の処理はまず十分に乾燥させてから行っています。これによってそれまでの削り行程を一回分、完全に省くことができました。

はじめに乾燥させることで、製造過程でログ材の縮みがおこらなくなったのです。

新しく導入した方法によってログ材の品質が向上し、以前は完成したログ材に見受けられた樹脂や表面のざらつきなど、再度処理を施さなければならなかった問題の解決にもなりました。

ホンカは1987年9月7日から11日の間に、株式市場に上場を果たします。

成長を続け技術開発でも業界トップに位置する企業としては当然の成り行きでもありました。

1980年代にはレーザーとコンピューターを使った製造技術が整えられました。

まず、最初に導入されたのがレーザーによる品質分類と製造プログラムのシステムでした。

ログ材産業で製造工程をプログラミングするには、数々の特殊な条件を満たしていかなくてはならなかったそうです。

製造ラインをプログラム化するということには、同じ商品を長期間にわたって生産し続けたいという製造側の希望があるのですが、この市場ではなかなかそうはいきません。

市場が求めているのは、人ひとりの希望にあわせて融通がきくサービスでした。

これを可能にするためのオートメーション化というのは、最初は課題が山積みだったそうで、何よりも大変だったのは、当時ログハウスメーカーのための既存の生産システなどなかったことだそうです。

自分たちで開発していくほかなかったということなんですね。

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『 ホンカの歴史⑱ 』

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ホンカ 施工例5

今日のホンカの歴史は前回に引き続き、1970年代についてお話ししたいと思います。

1976年の8月、ホンカに悲劇が襲いました。

先見の明をもちマーケティングに長けた社長、エイノ・サーレライネンが病により急死したのです。

※サーレライネン兄弟:左からアルヴォ、ヴィルヨ、ネストリ、レイノ、エイノ・サーレライネンホンカ 歴史

70年代初頭から行われてきたいました経営戦略と会社の成長は彼あってこそでした。

あまりにも大きな指導者を失い、はたして誰を後継者にすればよいのか。最終的には当時イカーリネンの工場長として働いていました兄弟の末っ子レイノが社長に就任することとなりました。

1978年にはホンカといえばだれの目にも明らかなほど、フィンランドのログハウス業界のトップに躍り出ていました。

ホンカの集中化は進み、リクエサで続けられていました丸ログ材の製造が1978年にはカルストゥラに移されました。

これによってリクエサの工場の生産は、製材と角ログ材に専念することになりました。

ホンカの歴史6【 当時のアラヤルヴィ工場の新しいラミネートログ加工場 】

のち、1985年、カルストゥラでの製材能率が十分になったところで、リクエサでの製材部門は廃止されましたが、ログ材製品の開発は相変わらずリクエサで続けられました。

1995年、リクエサの工場で生産されたログキットは年間800棟ありました。2003年までにアラヤルヴィとカルストゥラでの生産力はは非常に高くなり、生産できるログキット数は需要を超えられるようになっていきました。

フィンランド ホンカの歴史_6

※2008年のカルストゥラ工場。

リクエサはホンカの他の工場からは遠く、とくに今世紀に入って市場が幅広の角ログ材からラミネートログ材に移行していったことで、その存続が危ぶまれるようになってきました。

長期にわたる話し合いの末、ついにリクエサの工場は2005年の夏に閉鎖させることになってしまいました。

1960年に機械によるログハウス生産を始めた思い入れの強い地、リクエサ。辛い決断だったそうです。

 

この続きはまた次回に・・・。

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『 ホンカの歴史⑰ 』

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 HONKA 室内 植物

今日のホンカの歴史も前回の続きとして、1970年代についてお話したいと思います。

 

1970年代飛躍的な成長ぶりはホンカの当時の社長エイノ・サーレライネンの将来を見据えた計画と、そのための企業戦略があってこそでした。

この計画の中には国内の販売網と海外市場の開拓と拡大がありました。

本社を新たにヘルシンキの近郊にあるヤルヴェンバーに移転させ、それまで各地でばらばらに行われていたマーケティングをここでまとめました。

ホンカの成長に伴い、イカーリネンの工場地は拡大できない場所にあるという理由から、あまりこの増しい状況ではないと判断されました。

そこで工場で行われていた角ログ材製造ラインを1976年にはリクエサに移すことになります。

イカーリネンの工場はのちの2000年にはPWウインドウズ社という名前で独立した会社の形態をとりました。ここでは窓をメインに製造ラインをがひかれることになりました。

同時に新しい場所を確保し、そこで生産が進められるようにもなります。

2001年、この新会社の大半の株が、ホンカからPWウインドウズ社に売り渡されました。

これはログ材の製造という自社の中核にある事業により力を注ぐためでした。

ホンカ 歴史

1970年代、ヤルヴェンバーの展示場。写真はここを盛り上げたエイノ&シニッカ・サーレライネン、ナナ&ヤルモ・ペンティネン(左)。エーロ・サーレライネン、カレヴィ・マンニネン、ヴォルホ・コッコネン、リーッタ・ヨウッピ、エイノ・サーレライネン、トイヴォ・ヘドホリ。

 

それでは今日はこの辺で、この続きはまた次回に・・・。

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『 ホンカの歴史⑯ 』

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ホンカ・ログホーム

今日のホンカの歴史は、1970年代についてお話したいと思います。

前回の続きです。

カルストゥラの工場は1973年に転換期を迎えました。日本との取引で支払われた前金によって新たな投資が次々と行われたのでした。その成果は数字を見れば一目瞭然です。

1972年のログハウス生産は100棟を超え、翌年には230棟、さらに1975年には500棟に迫る勢いで伸びていました。

やがてカルストゥラの工場も手狭になり、1980年には工場の拡大を決定。同時にこれを期に生産の中心をカルストゥラに定めました。

ここは地理的にも質の良いポーラーパインが育つ地であり、また原木の中心産地といっていいくらいに数多くの倉庫がこの近辺にあったのでした。

カルストゥラの工場が20周年を迎えた年、ここの従業員数は185人にもなっていました。このうち40人が役職についています。役職の数の大きさは、この業界に要求されることが多様化し、同様に必要とされる分野の知識が細分化されてきたことを物語っています。取り扱い家のタイプが大型化、多様化しているのです。

また顧客たちそれぞれの希望が増加、それらに応えていくためでもあります。このときにはカルストゥラの工場で年間1,600棟のログハウスキットの生産を、そして3,000棟分の製材を行っていました。

ホンカ ポーラーパイン

カルストゥラで積み上げられたログの山。1987年。

この続きはまた次回に・・・。

小俣 ホンカ 小俣

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場所:千葉県御宿町内

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予約先:平井 hirai@honka.co.jp
平井携帯:090-3132-1169ホンカ ログハウス キグミ 完成見学会1

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『 ホンカの歴史⑮ 』

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HONKA 室内

今日のホンカの歴史は、1970年代についてお話したいと思います。

 

1972年には日本との間でログハウス250棟という大きな商談が成立しました。

この取引に伴って200万マルカの前金が支払われましたが、イカーリネンとカルストゥラの工場ではこなしきれない棟数でした。

そこでかつては彼らの工場だったリエクサの工場を完全にホンカに統合させることにし、前金として得た収入によってサーレライネン兄弟はホンカトゥオテ社の筆頭株主に返り咲くことにもなりました。

日本との取引で成長途中にあったこの会社を経済的に安定させ、長期にわたって開発に力を注ぐ基盤が得られたのです。

ホンカの歴史4

カルストゥラの工場が完成する前、1971年8月にホンカラケンネ社はログハウスの生産をフィンランド中部サーリヤルヴィのコルカンラハティで始めました。

 

この続きはまた次回に・・・。

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『 ホンカの歴史⑭ 』

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WORLD OF HONKA (24)

今日のホンカの歴史は、新しい工場の建設についてお話したいと思います。

新しい工場の建設は1971年9月21日、森の中の何もないところに建てられました。

工場が完成すると、近隣の町から購入した中古の機械を運びこんでいきました。

購入したこれらの機械を用いて丸ログ材機械を作ってみたところ、それまでのものより繊細なログ材ができたそうです。

新しシステムでは木を回す段階で木の芯をしっかりとらえることができ、以前よりも精度の優れた仕上げができました。

カルストゥラ工場は1972年の初めからカルストゥラ・ホンカ社という社名で生産を開始しました。

工場設立の決定から半年、目の前でログ材が次々と製造ラインにのって形になっていったのでした。

そして、カルストゥラの工場で最初のログハウスが完成したのは1972年11月のことでした。

ホンカの歴史 (1)

この写真は、リエクサの工場で角ログが並べられているところ。
ログハウスは出荷される前に試し組みされます。
写真のログはその時の様子です。
通しボリト作業もホルツヘル製の道具を使って丁寧に行われます。

 

この続きはまた次回に・・・。

イベントのお知らせです!

詳細はこちらから ⇒ inつくばのモデルハウス

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『 ホンカの歴史⑬ 』

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HONKA

今日のホンカの歴史は、時代をゆくホンカの誕生についてお話したいと思います。

 

サーレライネン兄弟はこの状況に満足できず、新たな会社を設立しました。

まずは販売を行う会社を、そして愛後には新しいログ材工場を有するまでになりました。

まずは1967年にホンカを設立、そしてレイノ・サーレライネンはタンペレに程近いイカーリネンに移りました。

彼がそこでやろうとしていたのは平削りの角ログ材製造でした。
1967年12月5日、イカーリネンにトラック1台分の材木が届きました。
翌日からすぐに仕事に取り掛かり、工場でログハウスの生産に入りました。

1966年からリエクサの工場で工場長を務めていたアスコ・トゥオヴィネンが機材を調整し、すぐさまイギリスに販売されることになっていたスパとサウナの製造始めたのです。

ホンカの歴史 (2)

【 イカーリネンで製造された室内サウナ。中央ヨーロッパに輸出されました。 】

1970年にはそれまで有限会社だったホンカを株式会社にしました。

サーレライネン兄弟はリエクサで、丸ログ材を製材するための技術開発を進めていました。

ただ一方では、その発明したものに対する完全な決定権を持っていません。イカーリネンの工場では平削りのログ材を生産してはいましたが、兄弟たちの思いは丸ログでした。

これからこの産業できっと成長していくはずだと信じていたのでした。

この流れでフィンランド中部にあるカルストゥラにホンカの丸ログ材生産ラインを設けようということになり、カルストゥラ・ホンカ社が誕生したのでした。

 

次回のホンカの歴史では、新しい工場の建設についてお話したいと思います。

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『 ホンカの歴史⑫ 』

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ホンカ2

今日のホンカの歴史は、1960年代頃の建材の確保についてお話したいと思います。

 

木材なくしてログハウスを建てることはできません。ホンカの工場はフィンランド中部のポーラーパインが豊富に育つ地域があります。

カルストゥラの工場で使用される原木は1974年の段階では30Km先までの範囲から集められていました。

ログ材の生産には理想的な立地にありながら、この主要原料を集める範囲はそれほど拡大しているとはいえませんでした。

今から10年前の2008年には、カルストゥラから70Km先までの範囲になっていましたが、1974年当時から何倍にもなっている製造量や売り上げ高を考えると、これは決して大きな数値ではないといわれています。

ホンカの歴史2

ホンカは現在のところ、単独で材木を購入する企業としてはフィンランドで最大です。

これまでのホンカが、材木の確保がままならないなどの理由で、製造に支障をきたしたことはありません。

これはそれぞれの購入先との長年にわたる契約と安定した取引があるからです。

市場の良し悪しに関わらず、常にお互いを保障する取引関係を築いているという事ですね。

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『 ホンカの歴史⑪ 』

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HONKAログハウス

今日のホンカの歴史は、1964年の終わりごろからのことについてお話したいと思います。

 

1964年の終わりにネストルとエイノも会社に加わりました。

ホンカ ログハウス 歴史

同時に社名変更を行い、ホンカトゥオテ・ヴェリエクセット・サーレライネン社としました。

1965年には営業所を首都ヘルシンキのカイサニエミ通りに構えました。

さらにマーケティングをより効果的にということで1966年にはヤルヴェンバーにありますエイノ・サーレライネンの居住横に最初のモデルハウスを建てました。

ホンカ フィンランドツアー① (1)

ここは現在の本社であり展示場にもなっている場所です。

これらは実を結び売り上げが伸び始めましたが、同時に新しい課題が待ち受けていました。

当時リクエサにあった工場で成し得る生産量では、需要に応えられなくなってきていたのでした。

生産量を上げるにはそのための投資が必要になり、金策を考えなければなりませんでした。

ログハウス工場の経済的な困難を乗りくるために、会社は株式会社の形をとることにしました。

社名はホンカトゥオテ(株式会社)となり自分たち以外の株主が現れたことで、投資に必要とされていた額を調達することができました。

しかし、これによって創設者である兄弟たちは筆頭株主の座を手放し、同時に自分たちの会社でありながら決定権を失うことになってしまったのでした。

次回は、当時のログハウスに必要な建築材の確保についてお話ししたいと思います。

ホンカの歴史5

【 サーレライネン兄弟の丸ログ機を使ったログハウス。ホッカネン家のこのログハウスは1968年リクエサに建てられました。 】

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