こんにちは。
ホームコーディネーターの小俣です。
今日のホンカの歴史は、海外進出の見直しについてお話したいと思います。
ホンカの海外進出に関しては、簡潔な新しい形で取り組むことになりました。
新しい戦略は「 ホンカのブランドを輸出先に浸透させること。局地的ではなく、対象国全体に視野を広げること。」でした。ここで対象国として挙げられたのが、これまでも良好な関係を続けていたドイツ、オーストリア、日本、フランスでした。さらに新たにアメリカを加えました。
これらの国々を対象に計画的なマーケティング戦略が練られることになります。日本とドイツ、フランスそしてアメリカで次々と子会社を設立しました。
1991年から1995年にかけてのことでした。これらの子会社がホンカの主な輸出国それぞれの中心として、あらゆることに対応するようになりました。
ドイツへの輸出を意識的に働きかけるようになると、まもなくしてホンカの重要な海外取引先となりました。1990年初頭に東西ドイツが統合され、一時的に売り上げが鈍っていました。
これは国の西側の代理店たちが旧東ドイツに力を入れるようになり、そのために西側での売り上げが落ちたことが原因でした。2年ほどでこの問題は解消し、売り上げは元に戻っただけでなく、さらに成績を上げていきました。
1990年代も半ばに差し掛かるころ、環境にやさしいものへの評価が上がり、同時にログハウスの人気が高まったこともあります。しかし、住宅ローンの利息に対する減税措置が縮小されたことで、1995年には住宅の購入が減少しました。
その他、建築基準が変更されたことで難題もふりかかってきました。問題が次から次へと襲いかかり、困難なことも多い。それでもドイツはホンカにとって重要な輸出国であり続けています。
フィンウッド社の買収はホンカの輸出戦略を拡大させることにもつながりました。それはフィンウッド社が行っていたパートナー制度を採用したからです。パートナー取引は、ハウスキットを地元の代理店に売り、そこで彼らの名で販売するというものです。
ホンカではこのようなシステムは、1980年の自社ブランドの強調戦略によって既に廃止されていたのでした。1996年に輸出パートナーは8か国に及び、パートナーシップ契約での売り上げは輸出全体の29%になりました。1990年代のはじめにこのような輸出体制をとったことは、正しい選択であったと考えられますが、結局その後のマーケティング開発では全く別の道をたどることとなりました。
1998年、ホンカのブランド戦略が一本に絞られたからです。これによってホンカというブランドの認知度を世界的に高める方針が打ち出されました。全てホンカの名前で取引を行うこととなりました。これまで可能だったパートナー自身のブランド名での販売は、新しい決定では受け入れられないものとなったのでした。
ハンブルグに完成した500㎡の住宅、ハウス・フライボルグ(1990年)
次回のこのシリーズは、ドイツへの行動についてお話しします。
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株式会社ホンカ・ジャパン
ホームコーディネーター
小俣 あけみ
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