こんにちは。
ホームコーディネーターの小俣です。
ホンカがマシンカットログハウスを開発し、約60年。そんなホンカの歴史をわかり易く、今日からシリーズでお伝えしていきます。
初回は、ホンカラケンネ社の創設者であるサーレライネン兄弟についてお話します。
ヴィルヨ、ネストリ、アルヴォ、エイノ、レイノの5人兄弟は、二つの世界大戦の間に誕生しました。
生家は、リクエサのハットゥヴァーラ。ケットゥとエステリという二人の姉妹と共に父タハヴォ・サーレライネンに育てられ、すくすくと成長しました。
出産で命を落とした母シーリ亡き後、仕事一筋だった父の手ひとつで育てられることを余儀なくされますが、家族のさらなる試練が襲ってきました。
第二次世界大戦、冬戦争です。
ハットゥヴァーラの村では避難勧告が出され、そして村の大部分が破壊されたのでした。
村のミュッシュリュカンガスという地域に建っていたサーレライネンの家も例外ではありませんでした。
やがて終戦を迎え平和が戻ると、1940年代後半にフィンランド各地でみられたように、ハットゥヴァーラの地にもかつての住人たちが戻ってきました。
戻ったとはいえ、目の前の光景はかつてとは全く異なっていました。
ミュッシュルカンガスでは全員を食べさせられるだけの環境が整っていませんでした。そしてこれが新境地への旅立ち、新しい仕事を求める門出へとつながったのです。
ホンカの誕生とその成長ぶりは、5人の異なる個性が一つになったからこその結果といえます。
〖 サーレライネン兄弟:左からアルヴォ、ヴィルヨ、ネストリ、レイノ、エイノ・サーレライネン 〗
サーレライネン兄弟は、それぞれがお互いの足りないところを補い合うような組み合わせでした。
仕立て屋の精密さを得意とする者、生まれながらの商売人、畑を耕す者のように地に足がついた生き方をする者、木挽きの見事な腕前、そしてリーダーの才能・・・企業コンサルタントが聞いたらうらやましがるばかりといったチーム構成でした。
色々な家庭の事情がこうさせたのだと、ヴィルヨサーレライネンはホンカラケンネ社が誕生した当時を振り返っています。
みんなで力を合わせて仕事をすることは、両親の願いでもありました。それだけでなく、歳若くしてきつい仕事をせざるを得ない環境で育ってきたということもあります。
また働くことを意識させるのは父親の子育てによるものといえます。決して強制ではありませんでしたが、兄弟が力を合わせることの大切さを父親は子育ての中で伝えていたのでした。
一緒に目指すところが何なのか、兄弟はいつも明確に理解していました。
もちろん喧嘩だってしたそうです。それでも他の人たちには、いつも一緒に力を合わせてやっているところを、そして一緒に何かを決定している姿を見せる。力を合わせてひとつの事に突き進むこと、その結果がこの世界最大のログハウスメーカー、ホンカなのです!
いかがでしたか?
私自身、サーレライネン家族が身近に感じたお話でした。
次回は、ホンカの前身にあたるサーレライネン兄弟の会社についてお話ししたいと思います。
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